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2007年11月30日 (金)

富士山の展望台Ⅳ(三つ峠山)

御正体山下山後、次の展望台、三つ峠山を目指し、富士吉田市河口湖へ車を走らせました、途中山中湖から見る富士山は、雲一つなく逆光の中浮かんでいました、これは富士に沈む太陽が撮れると日没まで粘ることにしました(日没は早く16:00でしたが)日没迄の写真が下です。Dsc_19841 Dsc_19971_2 Dsc_20081 Dsc_20161 Img_0628

きれいな夕日を見た後、本日の車中泊地の河口湖畔道の駅勝山への途中河口湖の温泉街、電飾風景を撮影致しました、三脚なしの為多少ぶれていますが・・Dsc_20231 Dsc_20241 Dsc_20281

11/26三つ峠山登山口の御坂トンネル天下茶屋付近へは、7:00に到着、7:30より登山致しましたが登山道はがたがたの林道、かなり手強い四駆なら頂上付近迄いけそうです、現に頂上付近の山小屋の関係者が登って行きました。Img_06371 Img_06461 Img_06471 Img_07311

約1時間30分程度で山頂まで行くことが出来、山頂からの富士は雲が多かったですが本当に見事でした、只、山頂付近に立つ、反射板、アンテナの数々が目障りで雰囲気を壊していました、特に四季楽園という山小屋は、すごい山のリゾ-トを想像させるネ-ミングでしたが、実際は失楽園でした。Img_06801 Img_06791 Img_07061 Img_07211

以上で今回の山旅の報告は終わりです。

2007年11月29日 (木)

富士山の展望台Ⅲ(御正体山)

七面山下山後、次の展望台、御正体山を目指し、富士五湖方面へ国道300号を車を走らせました、ダイヤモンド富士の撮影地として有名な本栖湖が現れましたが、あいにく夕暮れ時ということもあり、富士には、雲がかかり逆光を浴びていました、周りの紅葉がきれいでした、渋滞の中、本日の車中泊地、山梨県の道志村の道の駅に到着致しました。Dsc_19551 Dsc_19701 Dsc_19781 Dsc_19811

11/25御正体山登山口の道坂トンネルには7:00到着し、アップダウンの多い尾根道を約2時間30分登り、御正体山山頂に到着、ここも展望の利かない樹林帯の中、三角点、標識、祠、皇太子殿下登山記念標識、立派な木製のベンチが設置されていました、残念ながら期待していた富士山は、まったく見えずがっかり致しました、結局、尾根沿いの登山道の一角でしか、富士山を見ることが出来ませんでした。Img_05671 Img_06041 Img_06011 Img_06091 Img_05771 Img_05831 Img_05841 Img_05861

2007年11月28日 (水)

富士山の展望台Ⅱ(七面山)

11/25登山口の山梨県の早川町羽衣(七面山敬慎院の境内は、身延町の飛び地となります)へは、朝6時に到着、登山道の入り口には、羽衣橋をはさみ、白糸の滝があり、周辺の紅葉は今が盛りで非常にきれいでした。Dsc_19271_3 Img_03931_4 Img_05531_5     

登山道の入り口には、結界門があり、ここからいよいよ登山道となりますが、広く整備されたつづら折りの登山道でまるでお寺の参道を歩いているみたいでした(実際に参道ですが・・・)。Img_03971 Img_04031 Img_04061 Img_04091

およそ3時間の登山道(参道)には、休憩所、宿泊施設の肝心坊、中適坊、晴雲坊と適度な距離に建てられていました、参道にはちょうど白衣姿の信者の団体が拡声器でお経を読み上げながら下りてくるため、山中にぎやかにこだましていました。Img_04111_2 Img_04181_2 Img_04201_2 Img_04221_2 Img_04301_2

参道の最後は、和光門があり、ここから敬慎院の境内となります、1700mの標高のところに見事これだけの寺院をよくぞ建てたものだと感心させられます、富士山側には、随身門があり、門の間から見る富士山には一幅の絵を見ているようでした、これぞ富士山の展望台と言われていることに納得いたしました。Img_04361 Img_04441 Img_04691 Img_04671 Img_04711

七面山の山頂は、ここから30分ぐらいの本当の山道を登ったところにあり、途中、ナナイタガレという崩壊地を横目に見ながら、あまり展望の利かない、樹林帯の中にひっそり三角点と標識、方位盤が設置されていました。Img_04781 Img_04901 Img_05011 Img_05041

2007年11月27日 (火)

富士山の展望台Ⅰ

11/23より富士山の展望台として有名な七面山に登って来ました、ガソリン高騰のおり、高速道路の利用を控え(いつも利用していませんが・・・・)和泉、白鳥間の油坂峠を越え、高山から安房峠トンネルをくぐり、松本、甲府方面を抜け、身延にいきました。

峠越えということで、雪に対する備えも必要で早くもスタッドレスタイヤに交換し出発いたしました。

九頭竜湖からの荒島岳は先日からの寒波により白くなり、紅葉との対比が非常に印象的でした。 Dsc_18771_3

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油坂峠の手前のキャンプ場ではメタセコイヤ(多分こういう名前の針葉樹だと思ったが・・・・)植樹が赤く紅葉し非常に印象的でした

高山からの乗鞍岳は、既に冬の様相で、平湯では積雪がありました。Dsc_19261

松本、韮崎、を抜け身延の道の駅にて車中泊致しました、これで一日目の移動の日程が終了致しました、下は道の駅の風景です。Dsc_19511

2007年11月26日 (月)

今、帰ってきました

富士山の展望台といわれている、山、三山登って来ました、明日から又報告します。

その前に福井でもこんな素晴らしい針葉樹の紅葉がありました。Dsc_18961

2007年11月23日 (金)

今日は何の日

本日、11月23日は勤労感謝の日ですが働いています、それだけでは単なる国民の祝日ということだけですが、私がこよなく愛する?カメラNikon(コンデジはCanonですが)からD300というカメラの発売日です、本来なら、既に手に入れニヤニヤしているところでしたが、どうしても金策がつかないのと神様ならぬかみさんのにらみが利いて予約することが出来ませんでしたが、Nikonのコマ-シャルを木村拓也さんがやっているのを思い出し、「そういえば神様ならぬかみさんはファンだったなぁ」とカタログを武器に交渉しやっと予約することが出来ました、でも既に遅し(当り前か)、ボ-ナス払いが出来る時期の入手となりました。

早く、D300を手に持ち“ぼくの宝物”と言いキスした~い。

よって本日からの山旅は、D200を隊長とした面々にて出発致します。

行き先は、山梨県の 七面山、御正体山、三ッ峠山と富士山の展望台といわれている日本二百名山の山々です。

しばらく投稿できません、モブログはするかもしれませんが・・・・・・67y22i8z5qhujrv6_img6981_2

2007年11月22日 (木)

新田次郎の本

今、新田次郎の山岳本にはまっています、最近読んだ本では“槍ヶ岳開山”名前の通り先端が尖がっていて現在でも一般道に梯子、鎖が設置されやっと登ることが出来る山で、どこの山から見てもこの山だと認められる程、特徴があり有名な山ですが、この山にいつの頃から登るようになったのか調べているうちに、播隆という坊さんの名前に行き着きこの本を読みました。

越中の豪商の番頭をやっている主人公が当時の大事件“打ちこわし”に巻き込まれ、最愛の妻を自分の手にかけ失ったことから、逃亡の末出家し浄土宗の坊さんになり、この話は、始まります。

やはりふるさとを思うこころと妻を手にかけたことの自責の念にて 岐阜、越中の国境を修行の地としていたことから、笠ヶ岳の宗教的再開山をし、槍ヶ岳の存在を知り、苦難の末、宗教的開山を果たした結末です。

この物語の中で、特に興味をひいたのがブロッケン現象と播隆と一緒に槍ヶ岳を目指した人の名前です。

ブロッケン現象は、まるで大日如来が降臨したかの様に描かれ、大日如来を呼ぶことが出来る坊さんとして主人公は、尊敬の念を得ることが出来たようにかかれていますが、案外、仏教の始まりはこんなもんだったのかもしれません、曼荼羅の絵と似ているように思われます。

もう一つは、一緒に山に登った猟師の名前ですが、上高地あたりの山小屋の主人や名ガイドと言われた人と同じ苗字です、そうなんです、末裔がやはりこの地の繁栄に関わっているのです。Dsc_02531Dsc_02731 Dsc_03331 Pict07831

2007年11月21日 (水)

カメラ雑誌一斉発売

毎月20日カメラ雑誌各社が一斉に発売します、何故横並びなのかは知りませんが、多分同じ様な内容の記事の為、なにかの協定があるのだと思います。

毎月20日仕事を早く切り上げ本屋さんに直行なのですが、先日は急に寒くなり、今週末の3連休の山行にて平湯、安房峠トンネルを越えなければならない為、必要に迫られスタッドレスタイヤの交換を行いましたので、今月号は、残念ながら見ることが出来ませんでした。

カメラ雑誌といえば、2回程写真を載せて頂きました、最初は、“デジタルカメラマガジン”で昨年の11月号だと思いましたが初めて入選を頂き大喜びしたものです、但し、それ以降はまったくダメで、全国の壁に返り打ちにあっています、もう一回は、“フォトコンテスト”でこれは、第四回心のふるさと若狭町のフォトコンでビギナ-ズフロッグにて入賞した作品を竹内敏信先生のコメントつきにて掲載して頂きました(あんまり掲載写真の写りはよくなかったですが・・・・・)。038

2007年11月20日 (火)

お遍路の話Ⅱ

お遍路というとなんか、線香臭くて、おじいさんやおばあさん(私もそれに近い歳になってきましたが)がやるもんだと思われがちですが、おじいさんおばあさんは、観光バスにてガイドさんに連れられてお参りしている人が多いです、歩き遍路で来ている人は、比較的若い人が多く、特に大学生が目立ちます、それと御時世か、派遣社員で働かれている人が圧倒的に多く、悩める子羊たちの救いの道となっています、当然彼らは、宗教的に回っているのではなく、自己の挑戦、悩みを断ち切るため地図を見ながら必死に歩いています。

八十八ヶ所を回るという目的意識が同じなのか、老若男女を問わず歩き遍路同士はすぐに仲良くなることが出来、歳を意識することもありません。

特に徳島の第一番札所から第十七番札所は、GW中に歩ける距離で若い女の子の一人遍路という人も多いです。

前回の第一番札所霊山寺から第二番札所極楽寺までは数キロですが、非常に境内が静かになります。Rimg01621 Rimg01651

2007年11月19日 (月)

タイトル通り投稿の話

タイトルにもありますように、投稿ありってなんだ、そうです、もちろんブログも投稿なんですが、私が主に行っているのが、福井新聞のこだま、という文書投稿欄、くだらない私の山行日記を取り上げて頂けるのはここだけで非常に感謝しております、又、日本百名山の完登の際もここの投稿をきっかけに新聞に載せていただくことが出来、それ以来の付き合いとなりかれこれ2年の月日が流れています。

おおよそ2年の間にかれこれ23回掲載頂き、中々の調子と思っていましたが、やはり上には、上がいるもんだなぁ、越前市の多○さんは、山行日記だけで既に70回を越えていることを錆鉄人さんにHPを通じ教えて頂きました。

それともう一つ、写真投稿、同じ新聞の写真の広場、これが中々の難敵で掲載さ  れるのがほぼ皆無、これも二年間で、優秀賞1回、入選1回、佳作が4回と厳しい、0211まぁ仕方無いか、ブログみてても写真撮る人いっぱい0741だし、みんな上手だもんなぁDsc_06291Dsc_06441Dsc_00473Dsc_00421

ちなみにいやらしいですが、こだまの掲載は、1回につき500円の図書カ-ドが送られてきます、写真の広場は、書いてある通り、最優秀賞 2万円、優秀賞 1万円入選 5千円となっており、現金書留にて送られてきます、佳作はなにもあたらず、写真も取られてしまいます。

今から県内のフォトコンテストもモデル撮影会以外は、シ-ズンとなってきており、福井写真グランプリ、げんでんふるさと大賞、若狭町四季フォトコンテスト、勝山写真コンテストと最高賞金金額10~30万円は、誰の手にいくのでしょうか。Dsc_1308 Dsc_09201