善人宿の鴨の湯さんを後に、十一番札所の藤井寺へ足を運ばせました、このお寺は真言宗でなく曹洞宗のお寺です、そうです総本山が永平寺の曹洞宗です、八十八ヶ所には、何寺か他宗派の寺が含んでいます。
この藤井寺から十二番札所の焼山寺まで、お遍路の中でも最大の難所で標高差500mの山登りがひかえていました、遍路もころがって落ちてしまうということから「遍路ころがし」といいます。
この場面は一昨年だったと思いますが、NHKで放映された江口洋介主演の遍路ドラマ 「ウォカ-ズ、迷える大人たち」でとりあげられた場所です。
浄連庵の一本杉 特に山道の途中にある浄連庵の一本杉の場面が今でも思い出されます、私の方はというと、鴨の湯さんで一緒になりました、岡山からいらしゃいましたYさんと抜きつ抜かれつにて先を急いでいました、このYさんとは何かの縁があったのかこのあと暫く行動を共にすることになります。
又、別にこちらも東京からきたという、若い?御婦人の二人連れと山道を共にすることとなり、何故お遍路をしているのか、とかこの先はどうなっているのかの質問責めにやさしくお応えしていました(内心うざいとは思っていましたが)。
なんとか重い荷物を背負いながら、第十二番札所 焼山寺に到着、当時ゴ-ルデンウィ-クということもあり、山寺ですが、たくさんの観光客、歩き遍路の方がお参りしていました。
このまま、一寺ずつ紹介したのでは、ふりかえりがいつまで続くかわかりませんので、次回遍路(3月末予定)までに四十三札所の紹介をしたいので、少し先を急ぎます。
8番札所の熊谷寺横の野球場の公園で野宿したあと、朝早く九番札所の法輪寺にいきましたが、まだ門が開いてなく、前で待っていました、続く十番札所の切幡寺は山寺でかなりの階段を登り、息を切らせながらお参りしました、10番札所の切幡寺から十一番札所の藤井寺までは距離があり、あの有名な清流、吉野川を渡らなければなりません、ここらの橋は川の氾濫で流されないよう、欄干のない沈下橋となっていましたこのへんで雨が降り出し藤井寺のお参りは翌日にまわしこのお遍路で始めての善人宿、(善人宿とは、お遍路さんに無料で提供してくれる簡易的宿泊施設です)鴨の湯さんを探しました、鴨の湯さんの善人宿は私が手作りしたデッキより粗末なものでしたが、この時は雨もしのげ本当に感激しました、おまけにお風呂も割引で入れ、洗濯機も無料で使えました。
毎月一回、全国の200名山、300名山の山を登りに行き、長期連休は、四国へお遍路というパタ-ンにてこの3年ぐらいはやってきましたが、今年は新年の誓い通り、お遍路に力を入れるということで、3月は後半に有給休暇を集中させお遍路に行く計画を実行中。
まだ一ヶ月以上ありますが、毎回の様に車で高松空港まで行き、春休みであれば青春18切符を使い普通列車乗り継ぎ松山まで行くか、経費節減を考え高速バスにて大阪(昨年から運行になった)、松山とつないでいくか迷っています、方法によっては春休みと重なり予約が必要になります、多分仕事の関係で車で行くことになると思いますが、列車に乗るのも楽しみのひとつです、四国には、アンパンマン列車が走っています。
前回7番札所の十楽寺まで説明しましたが、八番札所の熊谷寺あんまり憶えていません、只、足のまめの痛さで隣の野球場がある公園にて野宿しようと本に書いてある通り許可をとりに公園事務所にいったところ、ここで野宿してもらっては困ると言う冷たいひとこと、えぇ-、四国はお遍路さんには、寛大で親切という概念は吹き飛び、前日に続き不信感と絶望に落ち込んでいました、結局、負けずにそのまま動けず野宿しましたが、ナイタ-の光とうるささで夜寝れませんでした。
三連休最終日、前日の比叡山に続き、京都嵐山・嵯峨野の奥、愛宕山に登ってきました。
愛宕山の山頂は、古来より火伏せの神様、愛宕神社を奉ってある山で全国800ヶ所に及ぶ愛宕神社の総本宮となります、山の開祖は役の小角、福井に縁がある泰澄といわれており、標高差約800mの参道に近い山道を登って来ました。
山頂付近はすべて愛宕神社で神社も非常に立派な社殿でした。
只、愛宕神社周辺は展望が無く、唯一、神社裏の丘に三角点があり、そこから京都の町並みを望むことが出来ました。
下山後、愛宕神社の門前町として栄えた嵯峨鳥居本の町並みを堪能してきました。
最近のコメント