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2008年1月12日 (土)

山に関する内容の多いこと

本日の福井新聞に山に関する内容の多いことには、びっくりしました、単にスキだから目に付くのかも知れませんが、吾妻連峰に昨年の暮れから入山して遭難した男性が12日ぶりに自力で下山した話、助かった本人のコメントでは、「山を甘く見た、今後、夏山も冬山も一切登らない、命をかける程のことではなかった」ちょっと同じソロで登る人間にとっては疑問に残る発言、元々気圧配置では二つ玉低気圧が近づき荒れ模様がわかっている東北の2000M近い標高の山に一人で登る自体が自殺行為で弁解の余地がありません、命が助かっただけでも儲けです、それなのに一切登らない、命をかけるほどのことではないとは、あきれてしまいました。pout

一方では、エベレスト初登頂のヒラリー氏が死去、登山家としての最大の栄誉を称え、御冥福お祈りしたいと思います。

14面では、水岸誠さん、かなゑさん夫妻の日本百名山踏破の記事、同じ日本百名山完登者としては共感する内容であり、県内90山踏破は、すごいと単純に尊敬いたします、私も百名山挑戦前は「のぼってみねの福井の山」をバイブルに訓練のため40山は登りました、夫婦で同じ趣味を共有出来るということは本当にうらやましい限りです。

最後に「こだま」ですが、以前もこのブログでちょっと紹介させて頂いた、越前市の多田義一さん、いよいよ日本百名山にリーチをかけた内容の投稿がされていました、最後の山は北海道の最北、利尻岳、私も九十九山目に登った山です、今年の七月に登る予定だそうです、エールを送りたいと思います、次回のこだま投稿ではエールを送る内容をいれるかもしれません、多田さんこの投稿で何回目の掲載になるのでしょうか。

三段紅葉の西吾妻山とフェリーからの利尻岳Dsc_08471 002111             

2007年11月22日 (木)

新田次郎の本

今、新田次郎の山岳本にはまっています、最近読んだ本では“槍ヶ岳開山”名前の通り先端が尖がっていて現在でも一般道に梯子、鎖が設置されやっと登ることが出来る山で、どこの山から見てもこの山だと認められる程、特徴があり有名な山ですが、この山にいつの頃から登るようになったのか調べているうちに、播隆という坊さんの名前に行き着きこの本を読みました。

越中の豪商の番頭をやっている主人公が当時の大事件“打ちこわし”に巻き込まれ、最愛の妻を自分の手にかけ失ったことから、逃亡の末出家し浄土宗の坊さんになり、この話は、始まります。

やはりふるさとを思うこころと妻を手にかけたことの自責の念にて 岐阜、越中の国境を修行の地としていたことから、笠ヶ岳の宗教的再開山をし、槍ヶ岳の存在を知り、苦難の末、宗教的開山を果たした結末です。

この物語の中で、特に興味をひいたのがブロッケン現象と播隆と一緒に槍ヶ岳を目指した人の名前です。

ブロッケン現象は、まるで大日如来が降臨したかの様に描かれ、大日如来を呼ぶことが出来る坊さんとして主人公は、尊敬の念を得ることが出来たようにかかれていますが、案外、仏教の始まりはこんなもんだったのかもしれません、曼荼羅の絵と似ているように思われます。

もう一つは、一緒に山に登った猟師の名前ですが、上高地あたりの山小屋の主人や名ガイドと言われた人と同じ苗字です、そうなんです、末裔がやはりこの地の繁栄に関わっているのです。Dsc_02531Dsc_02731 Dsc_03331 Pict07831

2007年11月14日 (水)

秋の夜長の読書

ちょうど今、秋の夜長に読んでいました、本が読み終えました、タイトルは、今度映画化される予定の新田次郎の 剣岳<点の記> です、いかにもという内容ですが中々おもしろかったです。

内容はというと明治時代、日本でも未踏の山として誰もを寄せ付けない針の山、剣岳に測量用の三角点を設置するため果敢に挑むはなしですが、時代背景は、軍隊の時代、折しも日本にも山岳会が発足され、初登頂の名誉をかけ、測量隊と山岳会の熾烈な競争を描いた物語です。

この話は実話で実際に測量隊が現在の剣岳の剣沢雪渓から長次郎尾根(雪渓)を登りつめ、最後は、山頂直下の岩をはだしでロッククライミング(道具は無いですが)した状態で登り初登頂をしたそうです、ところが山頂には、錫杖、剣など遠い昔に登られたと思われる証拠の品があり、山頂付近は、ちょっとした整備がなされていたそうです。

山頂付近の品の鑑定では、奈良時代のもので、確か芦くら寺かどこか忘れましたが博物館に保管されているはずです、まさに弘法大師が三千足の草鞋を使っても登れなかったという伝説は覆される結果、実際は、弘法大師が登ったのかもしれません、なんせ彼は、ス-パ-マンでしたから・・・・・・・・・・

この本を読んでいると二年前に日本百名山最後の山として登った感動がよみがえってくるようでした、カニのたてばい、カニのよこばいと苦しいところばかりでしたが、彼らの功績があってこそ、今では、一般登山道として鎖、梯子を設置し誰もが登れる山となっています、その感動の一こまを写真にて・・・・・・

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202 208_2 後、何十年もすると、エベレストも一般登山道として登れるやまになるのかな・・・・