前回は完全に話が外れてしまいましたので、本当にお遍路の話をします、今回は愛媛県松山市の第五十二番札所太山寺から始まり、第五十三番札所円明寺を
お参りしたあと、今治市に向け約34キロの道のりを歩き始めまし た、その前に円明寺にこんな不思議な灯篭がありました 、キリシタ ンがお寺に何の関 係があるんでしょうか、やはり宗教ということで保 護していたんでしょうか。
途中こんな場所がありました、河野水軍っていたんですね、瀬戸内海はいろんな 水軍がいたんでしょうね、こんな所で休憩をしながら先を急いでいると不思議なお地蔵さんに出会いました、お地蔵さんとは、下のお地蔵さんです。
そう、お化粧をしているんですね、何か不気味ですね、横の六体のお地蔵さんも同じくお化粧をしていましたが、一体一体違うんですね。
何でこんなことがしてあるのか、いわれを探しましたがありませんでした、結局わからずじまいでした、似ている人いますでしょうか。
ゴールデンウィーク、恒例の四国お遍路にいってきましたが、日程の関係とちょっと用があり一日前倒しで帰ってきました、その用事というのは、以前から応募していました、心のふるさと若狭町の四季フォトコンテストで入選したため、データ等の送付の締め切りを間に合わせるため、帰ってきました、その内容は下記です。
http://horikyou.at.webry.info/
そのついでとはなんですが、夜を徹して一睡もせずここにきました。
そうです、つつじまつりのモデル撮影会に参加してきました。
あれれれれ・・・・・ タイトルから外れてきてしまいましたが、眠たくなってきたのでお遍路の話は、次回にします。
お遍路番外版(後半)です。
松山市内に入り、西林寺というお寺では、野良猫の集団と一風変わった風貌のご夫婦に付きまとわれました。
なんでも、30年程前に歩き遍路をしたそうです、その道筋を逆周りに外人の奥様とたどっているそうです。
いろいろ話をしましたところカナダのレスブリッジ大学の考古学の島崎博教授夫婦だそうです、遍路姿の私の写真をパチリパチリと撮っていき、磨り減った靴底の写真まで撮っていました、なんでも学生に見せるそうです、私も一枚写真撮らせて下さいというと仲睦ましい姿でポーズしてくださいました、下の写真です。
別れ惜しかったですが、先を急ぎました、道後温泉の近くの石手寺はさすが観光地にあるお寺だけに団体客が非常に多かったです。
約一週間の休みを利用して前回最後の愛媛県伊予大洲市から久万高原町を経由して松山市内まで約110Kを歩いてきました、又、お遍路の内容につきましては、順番を追ってアップしたいと思います、今回は印象に残った写真をダイジェストでお送りしたいと思います。
まずは、大洲から内子に歩いている途中の風景。
内子から久万高原町に向かう印象に残った景色です。
久万高原町から松山市に向かう印象に残った風景です。
善人宿の栄タクシ-を後に、皆さんマイペ-スのため別々にわかれて行きました、次の野宿場所を約束しながら歩き始めました。
1時間もすると徳島市内に入り、右手に映画でも有名になりました、眉山(さだまさし原作、松嶋菜々子主演)が見えていました、当時ロケが始まるということでテレビやラジオでそのことが放送されていました。
写真はネットから拝借、眉山山頂から徳島市内、ロケ記念プレ-ト、ロケ風景だそうです。
この下を一生懸命歩いたわけです、余程悲壮な顔をしていたのか、栄養ドリンク、小銭のお接待はかなり頂きました、「大丈夫か、頑張れよ」の言葉もかけてもらいました。
徳島といえば阿波踊りですが、その阿波踊り会館の前を通り、徳島市内を出たところに第十八番札所 恩山寺がありました、ここで善人宿で一緒になった、名古屋から来たEさんと京都からきた尺八おじさんの一団に追いつき、一緒にお参りしました、当然お参りのさいは、尺八の音色付きうっとり聞き惚れていました。
ここで既に夕方となり、19番札所の立江寺が近い為、先を急ぎました。
このお寺は、牡丹の花が非常に印象的でした、この時点で既に5時を過ぎており、岡山のYさんとの野宿約束場所の立江駅へ急ぎました、立江駅には、誰もいなく結局Yさんとは、栄タクシ-が最後となりました、頭の中で「一期一会」の言葉が浮かび・・・・・・でした。
これで第一回のお遍路野宿の旅が終了致しました。
このページを借りて、本日(3/13)の新聞、写真の広場、佳作でした。作品はこちら
13番札所から17番札所までは短い距離に5つのお寺があり、例のYさんと他にも学生さん、女の子、定年後まわっている人など5~6人ぐらいの集団で行動いたしました、特にYさんとは、次の善人宿(野宿遍路は2人だけでした)までの行動が同じのためほぼ同じ行動をとっていました、記念撮影も撮りあい致しました。
境内が天然岩で出来ているお寺、
庭が非常に立派な、
街中にあるお寺
お寺の中にいわれ(忘れました)のある井戸があるお寺
17番札所の井戸寺をまわった時点で既にPM5:00をまわっており、前回の鴨の湯さんで手に入れた善人宿、野宿場所のリストを見ながら、次の善人宿をYさんと捜しました、他の人たちは、GWも終盤に近づき帰る人や予約していた旅館に急ぐ人などちょっとした別れがあり、駅まで見送った人(女の子ですけど)もいました、少しうるうるしました。
うろうろと善人宿を、人に聞くなりしてやっと捜しました、この間も栄養ドリンク等のお接待があり、人のやさしさ、この土地の風土にふれ、うるうるが倍増しました。
善人宿は、栄タクシ-さんでなんと父親の名前とまったく字も同じでこの縁に感動を覚えた程です。
ここの御主人さんが善意で乗務員の休憩所を提供してくれていました、休憩所は車庫の二階にあり、洗濯機も風呂もありました。
ここでは、今後不思議な縁がありました、名古屋から来ましたEさんと京都から来ました尺八おじさんに出会いました、他にも2名、計6人で6畳二間を利用させて頂きました。
12番札所の焼山寺からは下り一方の山道と舗装道、最後は国道に合流、足のまめはピ-クに達し小指は全体のまめがつぶれふやけたような状態、足の裏は、つちふまず以外はあかむけ状態を完全テ-ピングにて歩いていました。
最初についたのが杖杉庵ここは、お遍路の始まりといわれた衛門三郎が弘法大師様に追いつき許しを乞うた場所といわれています。その昔、衛門三郎の家に弘法大師様が一夜の宿を頼みに来たとき衛門三郎は追い払ったそうです、それもお祈りするとき持っていた独鈷を地面に振り落とす程に衝撃をあたえたそうです、それから衛門三郎の息子たちが次から次へと亡くなっていったことから、許しを乞うため弘法大師様を追ったそうです、これがお遍路の始まりといわれています。
杖杉庵では既に日が傾きはじめ、今日の野宿の場所を探すべく道の駅神山へ急ぎました、ここは神山温泉いやしの湯がありこの敷地内の休憩舎が野宿場所となりました、前回話していました岡山からきたYさんが待っていてくれました、場所もYさんとの二張りで一つの休憩舎を使うことになり、温泉を一緒にいったり、ちょっとしたことを話、Yさんは派遣社員の方で自分をかえる為にお遍路に挑戦するのだといっておられました。
翌日、かたづけ等マイペ-スが原則のため別々に出発、先を急いでいましたが、途中「お遍路さん」と呼ぶ声、振り返ると、喫茶店から女の人が呼んでいました、お茶とお菓子を頂き暫く福井の話やら身の上話をしました、そうなんです、これが初めてのお接待となりました、お接待とは、お遍路さんにたいして施しを頂くことですが、その施しは飲食物から金品、時には、家に招かれることもあるそうです、この様な風習はお遍路さんに対して自分の願いを代わりにかなえてほしいということから始まったそうです。
第十三番札所の大日寺に着く頃はたくさんの歩き遍路が集まり、あとどのくらいだとかいろいろ話しながら着きました。
善人宿の鴨の湯さんを後に、十一番札所の藤井寺へ足を運ばせました、このお寺は真言宗でなく曹洞宗のお寺です、そうです総本山が永平寺の曹洞宗です、八十八ヶ所には、何寺か他宗派の寺が含んでいます。
この藤井寺から十二番札所の焼山寺まで、お遍路の中でも最大の難所で標高差500mの山登りがひかえていました、遍路もころがって落ちてしまうということから「遍路ころがし」といいます。
この場面は一昨年だったと思いますが、NHKで放映された江口洋介主演の遍路ドラマ 「ウォカ-ズ、迷える大人たち」でとりあげられた場所です。
浄連庵の一本杉 特に山道の途中にある浄連庵の一本杉の場面が今でも思い出されます、私の方はというと、鴨の湯さんで一緒になりました、岡山からいらしゃいましたYさんと抜きつ抜かれつにて先を急いでいました、このYさんとは何かの縁があったのかこのあと暫く行動を共にすることになります。
又、別にこちらも東京からきたという、若い?御婦人の二人連れと山道を共にすることとなり、何故お遍路をしているのか、とかこの先はどうなっているのかの質問責めにやさしくお応えしていました(内心うざいとは思っていましたが)。
なんとか重い荷物を背負いながら、第十二番札所 焼山寺に到着、当時ゴ-ルデンウィ-クということもあり、山寺ですが、たくさんの観光客、歩き遍路の方がお参りしていました。
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