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雪が降って被写体ありそうですが、他の人もたくさん取り上げているので、本来のお遍路の思い出話に戻ります。
5番札所の地蔵寺でたっぷり居眠りしたあと、第六番札所の安楽寺は田舎の狭いアスファルトの道を、道標にそって歩いていたとおもいますが、あんまり憶えていないんですね、何故かというと、足の裏に大きな豆、そう5センチぐらいのが出来ていてそれがめくれた状態になっており、痛くて痛くてもうろうとしながら歩いていたのです、靴が合わなかったんですね、予算が無かったものですから、使い古しの登山靴にて来たのが間違いでした、登山靴は、結構裏が硬くて、アスファルト歩くのにはむいていないんですね、ドラッグストア-にてテ-ピングを買いぐるぐる巻きにしてやっと安楽寺にたどり着きました。
年に一回のモデル撮影会の水仙まつり撮影会の為、越前岬水仙ランドに行ってきました。
他のモデル撮影会は、いつも山行、お遍路にいっている為、参加することが出来ません、この時期だけたった一回の撮影会です。
10:00に水仙ランドに行ったときは、既にたくさんの人がモデルさんに群がっていました、本当に群がっていたという表現がふさわしいぐらいでした、やっぱりなれていないため近くに近寄れず大胆な撮影ができません、仕方ないのですいせん号(定期の観光バス)のバスガイドさんを撮っていました、もしかしてモデルさんよりきれいかも、それと同じ格好をしていました。
全然撮れませんでしたが、水仙娘さんの紹介ということで三人の写真アップします、コンテストには、まったく出す気はありませんので、作品の良し悪しは御容赦願います、彼女たちの名前はまったく知りません。
最後は定番の呼鳥門の上のポイントと荒波といいたいですが、さほどでもありませんでしたが越前海岸では当たり前の写真を撮って帰りました。
本日、福井新聞の「こだま」に昨日に続き、大きな内容が、福井市の山岸さん、日本三百名山完登に後二十山とすごいですね、内容を見ると登山歴十四、五年ということです、それと我々とは違い百名山完了後、二百名山完登を狙い、三百名山に達するというパターンでなくいきなり三百名山を狙うとは、確かに効率がいい、それと山にかける思いの集中、すごいです。
私なんかまだまだですね、お遍路に写真と雑念が多く、山一本には集中出来ない、それが証拠にどこの山岳会にも所属せず、写真愛好会にも所属していない、なにもかもが独学中途半端、失敗することも多く、誤解も招く、ちょっと迷いがでました (o´_`o)ハァ・・・ 。
ちょっと自分の迷いにブルーな気持ちですが、気を取り直しイルミフォトコン、写真の広場の準備をしています、イルミフォトコンの題名をつけるのが大変、メルヘンな題名がはずかしくってつけられない、歳はとりたくないものです、一つだけ公表します、「雪とイルミネーションのポエム」うわー恥ずかしい (/。\)イヤン!ハズカシイ 。
最後は近くの布施田橋の中洲に昨日の朝、鴨と白鷺が、風を避けじっとしているのを思い出し、鳥撮りに行ってきましたがまったく鳥がいませんでした。
本日の福井新聞に山に関する内容の多いことには、びっくりしました、単にスキだから目に付くのかも知れませんが、吾妻連峰に昨年の暮れから入山して遭難した男性が12日ぶりに自力で下山した話、助かった本人のコメントでは、「山を甘く見た、今後、夏山も冬山も一切登らない、命をかける程のことではなかった」ちょっと同じソロで登る人間にとっては疑問に残る発言、元々気圧配置では二つ玉低気圧が近づき荒れ模様がわかっている東北の2000M近い標高の山に一人で登る自体が自殺行為で弁解の余地がありません、命が助かっただけでも儲けです、それなのに一切登らない、命をかけるほどのことではないとは、あきれてしまいました。
一方では、エベレスト初登頂のヒラリー氏が死去、登山家としての最大の栄誉を称え、御冥福お祈りしたいと思います。
14面では、水岸誠さん、かなゑさん夫妻の日本百名山踏破の記事、同じ日本百名山完登者としては共感する内容であり、県内90山踏破は、すごいと単純に尊敬いたします、私も百名山挑戦前は「のぼってみねの福井の山」をバイブルに訓練のため40山は登りました、夫婦で同じ趣味を共有出来るということは本当にうらやましい限りです。
最後に「こだま」ですが、以前もこのブログでちょっと紹介させて頂いた、越前市の多田義一さん、いよいよ日本百名山にリーチをかけた内容の投稿がされていました、最後の山は北海道の最北、利尻岳、私も九十九山目に登った山です、今年の七月に登る予定だそうです、エールを送りたいと思います、次回のこだま投稿ではエールを送る内容をいれるかもしれません、多田さんこの投稿で何回目の掲載になるのでしょうか。
4番札所の大日寺を閉め出され、悲観にくれた初日をテントでカップラ-メンを食べ過ごし、早朝から再度大日寺の境内へ、何事も無かったように納経を済ませ、第五番札所の地蔵寺へ、ここは五百羅漢と樹齢800年の大銀杏で有名な所です、残念ながら五百羅漢は拝観料が必要だということで見られずしまいでした、ほんま大阪商人真っ青なほどの商売上手、昨日のことといい「ホントにこれでご利益があるの」という疑問を抱えながら、疲れたのか大銀杏の陰で朝から居眠りしていました。
散々なスタ-トになったお遍路でしたが、この時点で感じたのは、GWというのもあったのか、女の子の一人歩き遍路の多さには驚きました、本当に女の子というほどみんな若いんです(私が年いっているせいでそう見えたのか、迷える子羊が多いのか・・・・・・・)。
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